ぎゃんぶら〜事故楽観派

ところで先日の競艇では2500円ほど負けたことは既に書いたが、多分誘われたらまた行ってしまうだろうなあと感じていた。「何故だろう?損しただけなのに」と思ったので仕事中に考察をしていた。
賭け事により得られる興奮を欲している。ということは一番初めに思いつくし、間違いなく主原因だろう。しかしそれだけだろうか?興奮を欲するというのは本能に根差している。けれど、人間には理性というものがあり、普通は本能の歯止めになるものなのではないだろうか?それともオレの理性があっさりと本能に押し流されているだけか?と考え進めたところ、一つ思いついたことがある。
それは、マイナスをプラスに考えるというよく分からない作用が存在し、理性をだまくらかしているのではないか?ということだ。
具体例を挙げる。この間の競艇で、実は最終レースを的中させてマイナス2500円になっている。最終レースが外れていたらマイナス4000円だった。もう一つある。最後までどうしようか散々迷って買わなかった船券が来ちゃったのだ。しかも結構な倍率がついた。
書き出してみると自分でも?なのだが、この二つの出来事がどうもオレの中ではプラスの出来事として脳に格納されているようなのだ。
これはオレが本質的にオプティミストだということなのか、それとも自分の損失を認めない現実逃避をかましているのか?自分のことながらこの心の作用についてはよく分からない。よくわからないが、多分こういう作用があるからダラダラと生きていけているのだろうとは思う。
が、たまにはこういう作用が弱くなるときもある。そんなときは『五月病になったみたいなので〜』なんて題名で文章を書いたりする。今はそんな気分じゃないのであれを書き進めることはできそうにない。あれを見るたびに困ってしまうま。誰か勝手に続きを書いてくれないものだろうか?テーマは『でっかい夢なんて無くてもいいじゃない!』だ。今はでっかい夢とかあった方がやっぱり楽しいかもな。と思っている。
マイナスの出来事をプラスにして格納するのは、ギャンブルにおいてはちと駄目だが、日常においてはそこそこうまく機能している。そもそも最近の状況ではどうやったところでマイナスの方が多いのだ。全部のマイナスを拾い集めていたら、負債総額はもの凄まじいものになっているだろう。
ここまで書いた文章を読み返すと、実に脈絡が無くて良い感じだ。今は多分ちょっと調子がいい。