私家版・ユダヤ文化論

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

読みました。
ユダヤ文化について特別興味があったわけでもないのですが、内田先生の語り口が好きなので、ま、どんなもんだろ?と。
本書の冒頭で書かれるユダヤ人が忌避される理由の一つが、ドラッガーの『マネジメント』に出てくる多国籍企業の忌避される理由とまるで被っていたので、面白い!と思ってしまったけど読み進んでみれば当たり前のことでした。現代においては奇妙な感じもするけど、多国籍企業的な活動以外に就労できないというのが、古代からユダヤ人に課せられた差別であったのそうですから。
書名はユダヤ文化論となっているけどユダヤ人の文化について語っている本ではなく、『何故ユダヤ人は差別の歴史を背負ってきたか?』という話の本です。
色々な考察がなされているのですが、その中で大きな印象を受けたのが、近世から近代へ時代が変わりつつあったときに人々がとってしまったペニー・ガム法という思考形態が、その時代のユダヤ人差別の大きな原因となったということでした。
ペニー・ガム法というのは、1ペニーをガムの自販機に入れると1ペニー分のガムが出てきて、2ペニー入れると2ペニー分のガムが出てくるということから名前がついた思考形態です。自販機の中はブラックボックスで何が行われているか分からないけど、コインを入れるとそれに比例したガムが出てくる。そしてガムが出てくるのは、コインを入れるという唯一の原因から生じる。
つまりは、f(a)=bかつf(2a)=2bってわけです。
近代初期のヨーロッパは、市民革命・産業革命という激変の渦に飲み込まれていました。その激変に振り回され、それまでの生活を負の方向に一変させられてしまった人々は、我が身に降り掛かった巨大な不幸を生み出す原因になった邪悪な原因を無意識のうちに探しました。そしてそれがユダヤ人であると決定されるに至ってしまったのです。
作者はそこからさらに話を展開し、何故そこでユダヤ人が原因であると決定されたか。ということに話を進めますが、そこから先の話は気になる人は読んで下さい。
ともかくペニー・ガムです。これがオレには衝撃でした。何故なら、オレも自分に不幸が降り掛かったとき、ただ一つの邪悪な意思によってその不幸が生じたのではないかと、つい疑ってしまいがちだからです。
理性的にはもちろん分かっているんです。不幸が自分に降り掛かるとき、それが単一のファクターから生じるわけもなく、それが邪悪な意思によるわけもない。しかし想像するに、シンプルに怒りをぶつける対象が欲しくなるんでしょう。自分で自分をだまくらかして、頭が足りないレベルに自ら転落するのです。
これ、一時的には精神衛生上の効能はあるのかもしれませんが...やっぱトータルで見れば不健康なんだろうな。ってことを、歴史が証明してくれてますね。ガム踏んづけたときにコインぶっこんだ奴を血眼になって探すってのは、もうやめにしたいもんです。