今年度の方針

年度始めの今日、内田樹の研究室 4/1のエントリが心に響いたので、これを転じて今年度の方針とすることにしたいと思う。

http://blog.tatsuru.com/2010/04/01_1107.php

こういうことは上意下達的な組織、例えば、ワンマン理事長が人事や予算ばかりか教学の個々のプログラムについてまで容喙するような組織においては起こらない。
そのような組織においては、改革はつねに「上から」指示されて到来するものであり、その成否について「命令されたもの」の側に責任はない。
とくに、その上意下達組織において権力的な非対称性が人格的なかたちで露出する場合(要するに経営者が「厭味な野郎」だった場合)、現場の教職員は経営サイドが起案したプログラムが失敗することを(無意識的に)望むようになる。
必ずそうなる。


この話は教育改革の話であるが、「改革」を「仕事」に、「教職員」を「サラリーマン」と置き換えても十分に当てはまり、深く頷かざるを得ない。
オレは、社内から開発依頼を受けて開発する技術屋である。今まで何件か依頼をこなしてきて分かったのだが、明らかに開発依頼者(依頼部門)がどんな性質かということが仕事へのモチベーションを決定的に左右しちゃう。
先月までやっていた仕事は...大きな仕事であることもイノベーティブな仕事であることも分かっていたのだが、オレのモチベに対しちゃそんなものは雀の涙くらいにしか足しにならんかったようだ。最終的には、「ポシャれこの野郎」と腹の底の底で思いながら仕事をしていたよ。
で、やっぱりそういう仕事ってうまくいかないもんなんだよね。直接的なポシャり原因は別にあるけど、オレみたいに(無意識的に)失敗を望んでいた人が結構いただろうことも、無関係ではないかもしれない。オレは無意識的ではなかったけど。
けどね。現実にポシャってみると、何一つ良いこともないことに気づく。
大ゴケした仕事に関わった...というマイナスも現実には無いわけではないけど、そんなことより、「ポシャれこの野郎」と思いながらやっていた仕事のクオリティが、今振り返ってみるとなんと低いことよ。こいつはホント、マジどマイナスですよ。そして、何となく面白くなかった日常の記憶だけが残っているというね。


じゃあどうすんだ?良い依頼者を探すんかい?そんな都合の良い依頼者ばかりから仕事もらうってあり得るか?
なんて思ってみたら、エントリの続きにちゃんとヒントが書いてあった。

執行部による根回しが十分に行われ、学内の合意形成が終わったはずの案件について、ひとりの教師が立ち上がって反対意見を述べ、それがたちまちファカルティ全体の熱い支持をとりつけ、圧倒的多数の反対で原案が覆り、修正案が採択されたという場面に私は何度か立ち会ったことがある。
そのようなかたちで決定したことについては、ファカルティはその後努力を惜しまない。
自分たちの決定が「正しかった」ことを結果において証明することを義務だと考えるからである。

つまり、どっかから仕事が振ってきても、仕事についてる尾っぽを切り、ムシャムシャ咀嚼した上で、自分発の仕事に生まれ変わらせるプロセスが、燃え上がるためには重要なわけですね。

問題は、このプロセスを想像すると「反抗」とか「反駁」とか、“反”の文字がついた行為しか思いつかないことなんだけど...ま、これはおいおい考えて行こうと思う。

ということで、今年の方針は「お仕事の主体化」に決定した。
バリバリやりまっせー!