デーブ・スペクターの言うように全裸しかあるまい

主張は題の通り。前はジョークでそんなことを言ってたりもしたけど、最近は冗談じゃなくなってきた。
ドーピングとスんゲー水着はどちらも、競技者達が本来競い合うべき“身体能力と競技技術”を覆す力を持ち得る。という意味で等価になってしまった。真面目に水着素材を開発してる人に言わせれば、「バカ!同じなわけあるか!!」と怒っちゃうんだろうけど、端から見れば同じである。そして端から見てどうかということがこの場合とても重要だ。
バタフライが元々平泳ぎの亜種として生まれたことは有名である。つまりバタフライが生まれた当初は、一時期であれ平泳ぎとして競技に出場していたことになる。色々な大会で好成績を修めたことは想像に難くない。少々調べたところでは、最初にバタフライらしき泳法を取り入れた人は金メダルまではとれていないものの、銀メダルを獲っているようである。
さて、当時はそれで良かっただろうが、その後バタフライが平泳ぎとは別物だと判断されたとき、バタフライっぽい平泳ぎで出した記録はどうなったのだろうか?前述したバタフライの原型が披露された次の五輪では、ほとんどの選手がバタフライの動きを取り入れていたらしいから、おそらくほとんどの国の平泳ぎのナショナルレコードはバタフライもどきで作られていたに違いないのだが。
二通りの想像ができる。バタフライという泳法が別に存在すると規定されるまではルール上平泳ぎだったのだから、その泳法で出したタイムは平泳ぎとして記録された場合。もう一つは、バタフライもどきで出したレコードはカウントしないという場合だ。しかしどちらにしても同じことだろう。前者の場合、「この大会レコードは速いけどバタフライ(ワラ で出した記録だから」という言葉がついて回る。後者の場合は、当時のルール上問題無かったのに記録が抹消されるという憂き目。いずれの場合も選手にとっても過失無き受難であるだろう。
今回の水着の話は上の話に比する話になる可能性があるのではないだろうか。何しろ200mのタイムが1秒近く縮まるというのは前代未聞だ。2〜3年後に今回の五輪タイムを見て「あ、スピード(ワラ」などとなる可能性があるならば、選手達のために排除するべきであろう。が、かと言って今更スピード社はダメですよ。と言った所で、じゃあどれならいいんだ?ということに結論を出せるような期日ももはや無い。
やはり全裸しかあるまい。
例えその後水着の規定がどう変わったところで、全裸で残った記録は後世蔑まれることなどないだろう。ビバ生まれたままの姿。丸っとそのままハラショー。


と、いうような話を同僚の前で熱弁していたら、「なんで、みんな同じ材質の水着を着て競技するという方向に想像が向かんのだ?」と不思議がられました。あー…そういう考え方もありましたね…。コイツ賢いなー。