人類最古の哲学

完全に老化現象だと思うのだが、小説に没頭することができなくなってしまった。人の作った物語の世界に浸るのがしんどい気分なのである。感受性の低下だろうか。
でも読書はしたい。でもビジネス書は嫌だ。専門書は会社で読めばいい。
という折、たまたま手にとった本が、ちょっと刺激。ちょっと納得。ちょっと共感。ちょっと発見。で、たいへんちょうど良かった。

人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)


面白かったところをちょこっと。
この本ではシンデレラは古代から続く神話をよく継承した物語であるとし、第7章「片方の靴の謎」で「シンデレラが片方のガラスの靴を落としてしまうことは何を意味しているのか?」ということについて述べている。その中の一文で、

死霊が、生者の世界にあらわれてくる時、片足の靴を脱いでいたり、跛行であらわれるという伝承が、広くおこなわれています(一本足の妖怪などもこの仲間でしょう)。

「一つ目一本足の妖怪というのはタタラ場の非差別民を暗示している」ということが知識としてあった。タタラ場というのは、もののけ姫で出てきたが、製鉄をする所である。そこで働く人々は、赤熱する鉄を片目で覗き込むため片目が不自由になり、炉に風邪を送り込むため大きなふいごを足で踏み付けるため片足を痛める*1。それを支配者階級の人間が見て、妖怪と見なしたらしいのである。
しかしオレはちょっと違和感を持っていた。一つ目に加えて一本足というのはちょっと記号として過剰じゃないだろうか?と。片目が不自由というのはタタラ場の民を表すのに非常に特徴的だろうが、片足を痛めているというのはそこまでではない気がする。古代〜中世の、現代よりはるかにバイオレンスな社会において、片足に不具があるというのはそれほど特徴的なものだっただろうか?ということもあった。
そこに上記したような記述があって、腑に落ちたような気がしたのである。
「片足の靴」「跛行」は大地に縛られていることを意味しているらしい。死者の国は大地の底にあり、それに引きつけられているイメージからだろう。
神話の世界では、死者の国は人知を超えた場所ではあるものの恐ろしいというイメージではなく、生者のままそこに踏み入ることで超自然的な某かを得ることができると考えるようだ。シンデレラが得たもので言えば、かぼちゃの馬車であり、美しいドレスであり、最終的には王妃の座でもある。
タタラ場の一本足に話を戻す。石くれにしか見えない鉄鉱石を武具や農具に変えてしまう技術というのは、存在の形状を大きく変えてしまうという意味でも、大地からものを取り出しているという意味でも、上で言った死者の国で超自然的な某かを得るということと非常にリンクしているように思える。なるほど、であればタタラ場の民を暗示している姿が一つ目一本足であるのも、納得が行くような気がするではないか。


ま、全然的外れなことを言ってるかもしれないし、ものすごくその分野では常識的なことに気づいて悦に浸っているのかもしれないけど。よく知らない分野っていうのはこうやって無責任に発見したり納得したりできるのが良いよね。

*1:「たたらを踏む」という言葉の語源らしい。